自ら掴んだ人生の転機と幸せ
人生は、状況や環境にコロコロと影響を受けながらも、その時を、本気で、心の向くままに生きてみたら、いつしかそれを“最高の決断だった”と呼ぶ時が来る。
奇跡的に舞い降りた“N.Y.への移住&転職”のチャンスに希望も恐怖も抱えながら、悩むことに疲れ、時の流れに身を任せた私は、ビザ取得のためにアメリカ大使館の前に立っていた。
分厚い提出書類を抱えて、ビザ面接を受ける人たちで出来た長蛇の列に並び、整理番号を受け取った。
英語での面接なんて初めてだ。
アメリカに移住したい人間が、面接で英語もまともに話せないようなら落とされるに決まってると、その一心で受験生のように朝晩死ぬほど英語の練習をした。
就職面接のような会場を想像していたが、窓口がいくつも並んでいる区役所の雰囲気で、立ったまま、外国人の面接官と会話をする。
前に並んでいた男性が鬼のように質問を浴びていて、答えられず、しどろもどろになっている。
恐怖が倍増し、自分の番になったら、頭が真っ白になった。
「What will you do in the United State?」
「How long do you stay there?」
まさかのこの2つしか質問されなかった。
真っ白な頭でもさすがに答えられた。
私は強運の持ち主なのか。
書類を確認されて、「一週間くらいでビザが郵送されます」と一言。
私のビザ取得は心配をよそに、あっけなく完了した。
大使館を出た瞬間、急にアメリカ人になった気分を味わえた。
◆6年交際する彼との決断
こんなにスムーズに事が進む時は、「進め」と言われている。
後先もしっかり考えてしまう中年に差し掛かっているが、まだまだドラマティックな人生に憧れる能力も私には残っていた。ここに決断が生まれた。
当時、私は6年も交際する彼がいた。
なかなかの結婚適齢期を迎えていたが、“強く結婚を迫る女”になりたくないという意地から、「近いうちに結婚しましょう」という口約束で持ちこたえていた。
そんな本心に反するプライドを振りかざしていたら、35歳でこの事態に直面したわけだ。
交際中の女が「N.Y.に一人で移住します。」と言い出したら、男はどう思うのか、私には分からなかった。
6年結婚に至らなかったわけだから、これ幸いにと振られるかもしれない。
ひとまず遠距離恋愛を続けるも、物理的距離に勝てず消滅するかもしれない。
ようやく移住&転職を決断したものの、大事な人との決別という心理的障壁は残っていた。
もちろん、ビザ取得まで平行して相談をしていたが、一気にアメリカ移住が現実味を帯びたその日、我々は真剣な話し合いをする局面に立たされた。
白金の小さな中華屋で、いつもは何てことない話で盛り上がる二人が、妙な緊張感の中で膝を付き合わせた。
ビザ面接の過程や、これからの準備のことや、会社に退職を伝える話など、本題に入れないまま、私は迂回に迂回を重ねて、自分の気持ちを確認する時間を稼いだ。
自分の人生の幸せだけを考えて決断した。
自分が一番大事で、自分が一番可愛かった。
私はそんな女だった。
それなのに、「それぞれの道を進もう」と言われたら、大泣きしてすがりつく覚悟までがそこにあった。
「あのさ、、、かなりのワガママだと分かっていて言うけど、N.Y.に行く前に結婚しようよ。離れて暮らしたら不安だし。」
今思えば、よくこんなこと言った。
この状況を作ったのはお前だよと殴られておかしくない。
彼はビールの残りをささっと飲んで「結婚したら安心して行けるだろうから、するか」と言った。
私は神様と付き合っていたらしい。仏か、キリストか。
こんなあっけなく承諾されると思っておらず、感動も涙もなかった。
小さい頃から夢見ていた感動のプロポーズなんて、私の人生には用意されていない。
自分の欲望のままに、「これが欲しい!」とガメつく行動した結果、生涯の伴侶を得た。
これを幸せの自慢だと受け取っていては、きっとあなたは一生幸せになれない。
周囲に「非常識だ」と笑われても、「俗物だね」と陰口を叩かれても、欲しいものは欲しいと言った人が勝つ。
このガメツさこそ、自分自身だと私は高らかに叫びたい。
古瀬麻衣子
1984年生まれ。一橋大学卒。テレビ朝日に12年勤務。「帰れま10」などバラエティ番組プロデューサーとして奮闘。2020年、35歳で米国拠点のweb会社「Info Fresh Inc」代表取締役社長に就任。現在NY在住。日本人女性のキャリアアップをサポートする活動も独自に行なっている。
Instagram:@maiko_ok_
HP