『愛の不時着』演出家イ・ジョンヒョさんへインタビューした裏話
新型コロナの感染拡大が進んで、夏本番となってもなかなか遊びに行ったりできないなか、韓流ドラマ、なかでも『愛の不時着』を繰り返し観てしまっているという人は少なくありません。このドラマの盛り上がりぶりを現地・韓国で見ていたのが、韓国在住のジャーナリスト成川彩さんです。成川さんがインタビューした『愛の不時着』の演出家イ・ジョンヒョさんの話を語ってもらいました。
◆いかにも普通の格好でカフェに現れた演出家
『愛の不時着』の演出をしたイ・ジョンヒョさんにインタビューしたのは、韓国のテレビ局が集まっている上岩洞(サンアムドン)のデジタルメディアシティーでした。取材場所のカフェに、白いTシャツに黒っぽいジャケットという普通の格好で現れ、失礼ながらヒット作の敏腕演出家という感じではないのにはちょっと驚きました。イ・ジョンヒョさんは、知り合いにいそうな親近感の持てる雰囲気のかたでした。
最初に「日本で、『愛の不時着』がすごい人気なのをご存知ですか?」と聞くと、「そうみたいですねえ」と他人事みたいな口調。自分の演出作品が大ヒットしたという誇らしそうな感じは少しもなくて、地道に脚本の再現に徹する技術者という印象を受けました。
◆ヒョンビンは、実際にスイスでピアノを弾いている
『愛の不時着』が、ヒョンビンさんの魅力があればこそのドラマだということは言うまでもありません。イ・ジョンヒョさんも、「ヒョンビンじゃなかったら感動できましたか?」と言っていました。
スイスの美しい風景のシーンなど、ヒョンビンさんが実際にピアノを弾いているそうです。かなり練習してきてくれたと、イ・ジョンヒョさんは言います。
ヒョンビンさんは、ブームとなった『私の名前はキム・サムスン』(2005)や『シークレット・ガーデン』(2010)まで、“花美男(コミナム)”、つまり甘いイケメンというイメージでした。
ところがその後2011年に、彼がわざわざ志願して、厳しいことで有名な海兵隊に行ったことで、イメージチェンジできたのだと思います。今までの甘いイメージから脱却して、『不時着』のような、たくましい守る男を演じられるようになったのですね。
ヒョンビンさんは、除隊後に、映画『コンフィデンシャル/共助』(2017)で、北朝鮮の刑事役を演じています。これが、『愛の不時着』へとつながりました。その映画のときにヒョンビンさんの北朝鮮の言葉を指導した先生が、今回も指導にあたったそうです。
私の周りにいる韓国の男性たちも、やっぱり“ヒョンビンかっこいい”という反応でした。北朝鮮兵のピョ・チスを演じたヤン・ギョンウォンさんと“耳野郎”チョン・マンボクを演じたキム・ヨンミンさんに取材したときも、ヒョンビンさんのかっこよさを絶賛。ヤン・ギョンウォンさんは目を合わせるのも恥ずかしいぐらいだったと言っていました。男性たちもほれちゃうぐらい、たくましくてかっこよかったわけですね。
◆不時着してもあきらめないユン・セリ像
イ・ジョンヒョさんは、ソン・イェジンさんの演じるユン・セリを、北朝鮮に不時着しても生き残るたくましさを意識して描いたと語っていました。
ただの財閥令嬢ではそのたくましさは出てこないので、あえて義兄ふたりとの対立があり、自分ひとりでファッション業界・美容業界で成功してきた設定になっています。そういう女性だから、不時着してもあきらめずになんとか韓国に帰ろうとするわけです。
今までは、ドラマに出てくる財閥令嬢というと、主人公のライバルの役どころが多く、わがまま放題でお金にものを言わせていたりしました。しかし、今回のユン・セリは、自立してひとりで頑張っている人物像で描かれています。
◆「ソン・イェジンに失礼だ」と言った著名演出家
韓国では、ヒョンビンさんとソン・イェジンさんの熱愛説もでていたので、インタビューでイ・ジョンヒョさんに真相を聞いてみました。「本当にそうなのかどうかはわからない、でも二人の息があっていて、自分としてはとても演出しやすかった」という答えでした。
ソン・イェジンさんは、演技がうまいんだと思います。彼女がチョン・へインさんとともに主演した『よくおごってくれる綺麗なお姉さん』(2018年)の放映中に、ソウルで開かれた会見に行ったことがあります。
その時も、主演の二人が本当につき合っているのではないかと言われていたのに対して、著名な演出家のアン・パンソクさんが、「そう考えるのは、ソン・イェジンに失礼だ」と答えていました。アン・パンソクさんは、ソン・イェジンさんが現場で演技に入るとき、プロボクサーのようで、本気度がすごいというのです。「ものすごい努力をして演じているために、本当につき合っているかのように見えるのだ」と答えていました。
だから、彼女はだれと共演しても実際につき合っているかのように見える。人気だけでやっているのではなく、キャラクターを考えつくして演技を組み立てているというのは、今回、イ・ジョンヒョさんも言っていました。ソン・イェジンさんは、こういうのはどうですか、あるいはこちらは、と、演出家にいくつもの演技プランを提案してきたといいます。
女性脚本家のパク・ジウンさんは、ユン・セリをはじめとして、主体的に生きる女性たちを描いています。北朝鮮の財閥令嬢のソ・ダン(ソ・ジへ)にしても、自分の意志で婚約者のリ・ジョンヒョクを守ったし、その後は韓国から来たク・スンジュン(キム・ジョンヒョン)を愛して、どう生きていくか決めていきます。ジョンヒョクの母も、軍の高官の妻だから、夫を絶対的な存在として従っているのかというとそうではなくて、しっかり自分の意見を出して行動もしている。
私は、実はク・スンジュンとソ・ダンの場面でいちばん泣かされてしまいました。主人公二人だけでなく、登場人物をいちいちしっかり描いているところが、このドラマの魅力だなあと思います。
◆なぜ日本人はこんなに『不時着』にひきつけられたのか
私は『愛の不時着』はtvNでオンエアしているときに、韓国でリアルタイムで観ていました。最初は視聴率6%ぐらいで、それほどよくなかったけれど、だんだん盛り上がっていったのは感じていました。最終話は21.7%にまでなりました。
日本で『愛の不時着』がブームになっていることについては、韓国でも報じられて多くの人が知っています。このところ、韓国ドラマにはヒットが続いていて、『不時着』はヒット作のひとつではあるけれど、ぶっちぎりというわけではありませんでした。
韓国のゴールデングローブ賞と言われる百想芸術大賞でテレビ部門大賞を受賞した『椿の花咲く頃』のほうが社会現象になりましたし、すぐあとに放映された『夫婦の世界』は視聴率28%まで行きました。『梨泰院クラス』もヒットしています。
韓国では、なぜ日本では特に『不時着』が熱狂的に観られているのか、と不思議に思われています。私は、ヒョンビンさんやソン・イェジンさんの魅力や、イ・ジョンヒョさんの丁寧な演出、南北分断を今までにない形で描いたことが、年代や性別をこえてたくさんの日本人をひきつけた理由だと思っています。
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成川さんは、韓国のエンタメの胸をばっと鷲づかみされるような作品の数々に引き込まれたことをきっかけに、今やソウルで仕事をするようになったといいます。新型コロナウイルスのために、日本と行き来することができなくて困っているとのことでしたが、彼女の韓流ドラマの魅力を伝える熱意はZoomの向こうから届いていました。
『愛の不時着』(2019年から2020年放映 全16話)
TOP画像/Netflixオリジナルシリーズ『愛の不時着』独占配信中
構成/新田由紀子
韓国在住ジャーナリスト 成川彩
9年間の朝日新聞記者生活ののち渡韓。東国大学校大学院で韓国映画を研究するかたわら、取材・執筆活動をしている。