今の仕事が一生の仕事か? 33歳で陥った“理想の人生”への葛藤
同じ仕事、同じ職場、同じ日常。
変わらない自分。
新卒から10年も同じ会社に勤めると、なんだか言葉に出来ない“モヤモヤ”を感じるという話は案外よくあることだ。
初回はその”モヤモヤ”に気づいてしまい、なんとか解消しようと無駄骨を折る日々の話。
心底望む仕事だったテレビ局に入社し、気づいたら10年。
才能は皆無だったが、愛嬌と勘の良さで私はいつの間にか、バラエティ番組の女性プロデューサーになっていた。
どこに行っても、この肩書きだけでもてはやされた。
「テレビ局は激務」というイメージ通りの生活をリアルに体現し、番組制作現場という、いわゆる“男性社会”でマネージメントをしていることが、周囲からは「よくやっている」「かっこいいよ」と称賛ばかり。
最初の数年は、それだけで満足感と達成感に浸れていた。
ただ、私は自己愛の塊でありながらも、自身に懐疑的な側面も強く、かなり早い段階でモヤモヤが産声を上げていた。自分の無能さにずっと前から気がついていたのだ。
この世界において最も優秀でカッコいいのは、面白い番組を作る過程をサポートしている人ではない。“面白い番組を作れる人”だ。
スタッフや予算をいくら管理しても、みんなが見たいと思うタレントを必死にキャスティングしても、私の存在は常にマネージメントして、サポートする人にすぎない。
テレビ局の華やかさに憧れて、直感だけで選んだ職場。
10年経てば気がつく。ここで1番にはなれない。
そうなってくると、日々の仕事の中で何度となく思う。
「なんでこの作業をやっているのか?」「生涯をかけるつもりがない場所で、なんでこんなに心を折っているのか?」「このまま、また10年やり過ごすのか?」
◆今の職場でモヤモヤしている女性たちに言いたいこと
同じように、この気持ちが芽生えてしまっている方に伝えたい。
モヤモヤと共に数ヶ月生きてみよう。
モヤモヤなんて一時の気の迷いなんて片付けることなかれ。
共生して初めて、“次の一歩”を踏み出す時が来る。
33歳の私は、次の10年を大きく変える決心をした。
社会について、大人について、生きることについて経験を重ねた私が次の人生を選ぶ。今なら間に合うと思ったからだ。
◆33歳で私は自分の直感にしたがって動き始めた…
33歳の夏、どんなことに心が動くかテストすることを始めた。
大抵、こういう時は海外留学をしたくなる。
違う価値観に触れたら、新たな自分が開花するとか何とか言い出して、行き先を考え始めるのだ。
そんな折、夜中にテニスの試合を見ていたら、ジョコビッチの美人妻がモナコ国際大学卒であるとアナウンサーが言ったのを聞いて、「モナコだ!」とバカすぎる直感を信じた。
その夏、私はモナコへ飛んだ。
大学の雰囲気を見れば一目で決心がつくと思った。
1杯ビールが2,000円くらいする驚愕のお金持ち国で見たキャンパスはあまりにも… 活気がなかった。
校舎はこじんまりとしていて、市役所みたいな雰囲気。
私が描く新たな10年のスタートにはふさわしくないように思えた。
落胆して日本に帰って来てからは、投資について勉強し始めた。
体をボロボロにして働くことの真逆をやってみたかったから。
しかし結局、手堅い不動産投資以外は仕組みさえも理解出来ず、断念。
そんな突拍子もない行動を数ヶ月間繰り広げ、進むべき道どころか、明日へのやる気さえ失いかけたところで、私の身にドラマのような奇跡が起きた。
鳥肌ものの奇跡が人生に舞い降りたのだ。
モヤモヤと共生することを諦めない。
これが全ての第一歩だ。
古瀬麻衣子
1984年生まれ。一橋大学卒。テレビ朝日に12年勤務。「帰れま10」などバラエティ番組プロデューサーとして奮闘。
2020年、35歳で米国拠点のweb会社「Info Fresh Inc」代表取締役社長に就任。現在NY在住。
日本人女性のキャリアアップをサポートする活動も独自に行なっている。