常に目標に向かって、息をつめて走る短距離走の連続のような人生。そんな生き方を変えたかった
医学博士課程の学生として、学位がとれるのか否かの瀬戸際にいた30代初め。自分にそれだけの能力があるのか、毎日揺れ動くような状況でかなりナーバスに過ごしていました。自分で選択したことだから逃げられない。苦しかったですね。
研究テーマは、人間の認知に関わる音声言語と音楽について。先生は今の私よりも若い方でしたが、解析方法、論文の読み方など、研究のいろはだけでなく、学問の根幹にある〝学ぶ〟という姿勢まで教えていただいたように思います。
当時はメディアに学者が出始めた時代。今でもときどき思い出すのは、先生が「いつか君もそうなるんだろうね」とおっしゃったこと。家にテレビもないような生活をしていたので、自分では、イヤイヤそんなことあるわけない、研究ばかりで仙人みたいな生活を送るはずだと思っていたんです。今考えると、なぜ先生にはおわかりになったのか不思議ですね。
どうにか無事に博士号を取得でき、卒業後はフランス国立研究所で脳科学の研究に従事することに。ソシュール(※)が出た国ですので、やはり言語を脳科学的に研究する領域では一日の長がある。突貫工事でフランス語を勉強して行ってみたら、まぁ大変で。
何が大変かというと、まず朝出勤するとみんなでコーヒーを飲む。お昼は2時間かけてランチを食べて、ちょっとしたらまたお茶の時間。夜は6時には帰り始めて、8時にはもうだれもいない。デスクに座っている時間とおしゃべりをしている時間がほぼトントンで(笑)。世界中から研究者が集まっていて、日本人とさえコミュニケーションが苦手な私にとってはとてつもない難関でした。
たとえば、ドイツ人が話しかけてきて、「第二次世界大戦で日本は僕らと一緒に戦ったけどその落とし前はどうつけているんだ」と。東京大学を出て博士号までとって来た人間だから、当然知っていることとして聞いてくるわけです。私、理系だから世界史やってないんです…なんて言い訳はできないし、答えられるように自宅で勉強するしかない。全然リラックスできない〝恐怖のカフェタイム〟は毎日が闘いで、研究以上に鍛えられましたね。
※言語学者。ソシュールの言語論は、フランス現代思想や構造主義の起点となった
2年の勤務を経た後、実はフランスで弁理士として仕事をする予定でした。インターンシップがあって、資格がとれて語学研修も受けられる…これ以上ないほど待遇はよかったのですが、直前で「ほかの方にお譲りください」と日本に戻ることを決めてしまった。
理由は、一時帰国をしたときに今の旦那さんと出会ってしまったから。ほぼすべての人に「バカじゃないの!?」と言われ、遠巻きに「あぁ、〝そっち〟の人なんだ」と引かれたりもしましたね。
夫との出会いは、人工知能の話をしようと集まった研究者仲間との会です。彼は美術が専門で、研究者の中でも群を抜いて異色な人。「この人は変わってるぞ!」と、一緒に住み始めてしまった(笑)。
ドラマチックに聞こえるかもしれませんが、本人にとっては「疲れた」というのが正直なところでして。博士号をとって、ポスドクとして海外勤務もしましたし、そこで次の仕事もいただいた。でも、ずっとそのまま生きていくのはしんどいなという思いがありました。
常に何か目標があって、息をつめて走る短距離走の連続のような人生。消耗するわりに充実感がない。いったいどんな目標を立てたら自分は充実するんだろう?と、達成すればするほど虚しくなる気がしたんでしょうね。むしろ自分の満足や居心地のよさを大事にしようという決断だったのかもしれません。
以前は「パートナーには自分より頭のいい人がいい」と思うところがあって。しかも、そうじゃないと相手もイヤな思いをするだろうと勝手に考えていた。そんなのまったくおこがましいと気づいたんです。
私の学んできたことや、外面的に評価される部分なんて大したものではなく、人間関係を築くのに大切なことはほかにある。細々とアルバイトでもして切り詰めながらでも、面白い人と一緒にいようと。裕福に暮らせるとか得があるわけでもなく、決してみんなが憧れるような選び方ではないけれど、正しかったと思っています。
みんなが見ている世界が見えなくてもいい。異なることそのものが価値
帰国してからは、本当にアルバイト的にライターのような仕事をしていました。知人にすすめられて書いた本がきっかけで、メディアに初めて出たのは36歳のとき。明石家さんまさんが司会の『ホンマでっか!?TV』でした。
研究者側とメディア側、ふたつの視点をもつことで、人間がものを理解するということに対して、気づかされる機会が増えましたね。真実よりもそれがどう受け取られるかのほうが、ずっと世界を動かすんだなと。
元々は、子供のころから周囲に溶け込めないと感じていたことが人間や脳科学に興味を持った要因です。脳科学に救われたとするなら、みんなが見ているものが見えなくてもいいんだ、と割り切れたこと。自分が見ている世界は一般的に多くの人とは違うかもしれないけれど、異なることそのものが価値なんだとわかるようになったというか。
今は脳の研究や執筆活動をしながら、大学での講義を受け持っています。日本では女性研究者が圧倒的に少ない。アカデミックの世界ではまだまだ性別や年齢の壁を感じる場面も多いです。
そんな状況でも仕事をする上で大事にしているのは、心地よさ。人間に与えられた時間は有限ですから、ただ楽しいだけじゃなく、どれだけ世界が広がるかしらとか、どんな人に会えるかしらということを大切に思いますね。
短距離走の連続よりも、のんびりサイクリングでもしましょうというイメージでしょうか。早く目的地に着いてしまうと損。人生はまわり道をたくさんして、見たことのない景色を見て、豊かな旅をしたほうがずっと得ですよね。最短ルートで最善の解にたどり着きたいという欲は、帰国を決めた34歳で捨ててしまいました。
結婚前後で、まったく違う人間と言ってもいいかもしれないけれど、20代のときに描いていた40代の自分よりは充実しているんじゃないかな。
仕事を頑張っている人ほど、他人の声に耳を傾ける。その能力が高いからこそお仕事でも信頼されて結果を出していると思うのですが、せめて人生の大切な決断をするときは、自分の心の声を聴いて問い直したほうが幸せな選択ができる気がします。
2017年10月号「~私が「決断」したとき~」より。
本誌掲載時スタッフ:撮影/石田祥平 構成/佐藤久美子
脳科学者 中野信子さん
1975年東京生まれ。東京大学工学部卒業、同大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。医学博士。フランス国立研究所ニューロスピン(高磁場MRI研究センター)勤務を経て、現在は、東日本国際大学教授。脳や心理学をテーマに研究・執筆活動を行う。著書に『幸せをつかむ脳の使い方』(ベストセラーズ)など多数。
「子どものいじめ」「大人のいじめ」の回避策を脳科学から考える、脳科学者・中野信子さんの最新刊『ヒトは「いじめ」をやめられない』 小学館新書/780円(税抜)
「子どものいじめ撲滅」に向けて、大人たちが尽力している一方で、大人社会でも「パワハラ」「セクハラ」などの事件が後を絶ちません。しかし、「脳科学的に見て、いじめは本来人間に備わった“機能”による行為ゆえ、なくすことはできない」と、著者である脳科学者・中野信子氏は言います。ならば、いじめに対するアプローチ法を変えて、その回避策を考えていくことが、良好な人間関係を維持するためには得策です。『ヒトは「いじめ」をやめられない』では、子どもの仲間はずれやシカト、大人のパワハラ・セクハラなど、世代を問わない「いじめ」に関して、その回避策を脳科学の観点から説いていきます。