タレント、俳優/ヒロコ・グレースさん
創刊号から3年間、Oggiの表紙モデルを担当させていただきました。当時は20代前半で、赤い口紅を塗るのも新鮮。ちょっと背伸びしながらも、毎回違う表情を見せるにはどうすればいいか、カメラマンさんと「今回は顔の半分だけ見せてみる?」「座り方で変化をつけてみよう」なんて相談しながら工夫できたのは初めての経験でした。30年後にまさか、こうしてまたにOggi声をかけていただけるとは本当に光栄ですね。
1歳からモデルの仕事をしていたのですが、実は元々シャイで人前に立つのが得意なタイプではないんです。ただ、忘れもしないのは8歳のとき。CM撮影で夜遅くなってぐずっていた私に、母が「あなたががんばらないと、みんな帰れないのよ」と言ったことがあって。「これは自分ひとりだけの問題じゃないんだな」と子供ながらプロ意識が芽生えたのをよく覚えています。
20代はモデルに限らず俳優やMC、リポーターなど、多様な活動に携わらせていただきました。お仕事がいやだと思ったことは一度もなく、与えられたことは精一杯ベストを尽くしたくて。30歳に近づくころはハーフのタレントさんが増えてきて、自分の強みを模索していた時期。将来のために、とファイナンシャル・プランナーの資格も取得しました。今のようにスマホで手軽に学べる時代ではなく、映像教材とテレビデオを車に持ち込んで移動の合間に勉強(笑)。その甲斐もあって合格し、税理士さん任せだったお金の管理も自分で把握できるようになりました。MCとして専門家の方に質問をしたり、関連雑誌の企画ページに携わったりと、自分の学びでお役に立てるのもうれしかったですね。

できないことがあっても別の道を探せばいい。NYで学んだ、不完全でも明るく生きる工夫
そして31歳のとき、夫の転勤でNYへ。何もかもが日本と違っていて、それが私の人生の大きな転機になりました。たとえば銀行口座をつくるには「まず住所が必要」、でも家を借りるには「口座が必要」と言われ、堂々巡りに。困っていたときに助けてくれたのが、銀行員の方。「私も移民だから、あなたの気持ちわかりますよ」と親身になってくれました。NYは世界中から人が集まる街で、自然と助け合いの文化が根づいていた気がします。
ただ、電話工事ひとつとっても、業者さんがいつ来るかも不明で、日本の感覚で愛想よくしていると子供扱いされるので、私も日に日にドスのきいた声に(笑)。日本の行き届いたサービスを実感すると同時に、「できないなら別の方法を探す」「自分でやる」という考え方に変わり、DIYにも挑戦してみました。壁紙の貼り替えや食洗機の入れ替えなど、手探りでやってみると案外楽しくて。バタバタとNY生活を送りながらも、「今後はこういうことがしたい、私にできることがあればぜひ」と周囲に伝えていたおかげで、日本での仕事にもつながり、本当にありがたかったですね。

7年過ごしてから帰国後は、親の介護と長男の妊娠・子育てが重なりました。父が入退院を繰り返していた時期で、病院選びや付き添い、看取りまで含めて心身への負荷はありましたが、「私がどうにかする!」という思いで、自然と動くことができたんです。両親がかけてくれる感謝の言葉が何より支えでしたし、近くで手伝える状況にいられて自分も安心できたなと。
次男も生まれ、ここ15年ほどは家族との時間を第一に過ごしてきましたが、私生活を優先したからこその成長もありました。子供の学校ではPTA的な役割を担うクラスママに立候補。最初は不安もありましたが、関わるほどに充実していき、英語と日本語の二言語でニュースレターを作成したり、イベントを企画したり。インターナショナルスクールで多様な背景や価値観を持つ保護者の方たちと関わる中で、「自分の当たり前は、だれかにとっての当たり前じゃない」と気づかされることも多かったです。一緒に役を担ったママ友とは家族ぐるみのつきあいになり、なんでも相談できる親友になりました。大げさでなく、人生が変わったと思います。
保護犬のサポートも微力ながら行っています。4年前に迎えたのが多頭飼育崩壊の現場にいた子です。散歩もしたことがなく、最初は外に出るだけで震えていましたが、今では安心しきって家のソファでぐっすり。言葉がなくても通じ合える存在で、家の空気を明るくやわらかくしてくれています。
それでも育児も家事も、全部ひとりで抱え込むのは難しい。人にお願いするのが苦手でつい自分でやってしまうからこそ、溜め込まないよう気をつけています。ヘルパーさんの力も借り、月に一度は夫とふたりで食事に出かけ、少し遠くのお店まで1時間ほど歩いて行く。歩きながらだと、忙しい日常で後回しになっていた話なんかも気軽に相談できて、不思議と気持ちが整っていくんです。
また、特別なことはしていませんが、セルフケアにも気をつけています。長く仕事を続けるには大切な術だと思っているからです。20代のころは無理している自覚もなく、扁桃腺が腫れて入院したり、肺炎で倒れたりもしました。のちにわかったのは、私の場合、睡眠が6時間を切ると体に出るということ。以来、仕事を受ける際にちゃんと時間の希望を伝えるように。自分を客観視し、できないことはきちんと共有する。そんな準備と選択が、誠実な働き方につながるのかなと思います。
ちょっと手を挙げる。声をかけてみる。それだけで、出会える人や広がる世界がある

新しいことを始めるときに意識してきたのは、「まずは手を動かしてみる」こと。たとえばライフプラン設計なら、頭で考えるだけでなく少額でも投資してみる――そんな小さな行動から、見える景色が変わることも。私はアメリカ国籍なので日米両方の税務申告が必要で、会計士さんにお願いすると専門用語の確認や翻訳の時間にも費用がかかる。それなら、とまずは書類を読んで調べ、自分で手続きできるようになりました。挑戦と言うと身構えてしまいがちですが、最初の一歩はもっと気軽でいい。継続も方向転換も、後で決められますから。
これまでの私は、壮大な目標を掲げて突き進むというよりも、人からのすすめに耳を傾けて試してみる。その積み重ねが、いつしか自分の道になっていた感覚です。だれかに喜んでもらうこと、笑顔になってもらえることが、いちばんの原動力。機会があれば、また英語教育にも関われたらと思っています。以前は英会話番組や海外取材のMCなど、言葉を通じて人とつながる仕事に多く携わってきました。AIが進化を遂げる今だからこそ、顔を見て、自分の言葉と声で気持ちを伝える――そんな人間対人間のコミュニケーションを大事にしていきたいですね。ちょっと手を挙げる。声をかけてみる。それだけで、出会える人や広がる世界がある。世の中の息苦しさも感じる今、もう少し大らかに、もう少し人に優しくあれたらと心から思っています。
2025年Oggi6月号「The Turning Point〜私が『決断』したとき~」より
撮影/石田祥平 ヘア&メイク/斉藤 誠(Lila) 構成/佐藤久美子
再構成/Oggi.jp編集部
ヒロコ・グレース(ひろこ・ぐれーす)
1969年、東京都出身。オランダ系アメリカ人の父と日本人の母を持ち、1歳からモデル活動を開始。聖心インターナショナルスクール、上智大学比較文化学部を卒業後、タレントや俳優としても活躍。『』表紙モデルを1992年創刊号から1995年まで担う。NHK教育テレビの英会話番組をはじめ、報道番組、ドラマ、映画、CMなど出演多数。1998年に結婚し、2002年からNYに移住。7年間の海外生活を経て帰国後は、両親の介護を経て、子育てに専念。ファイナンシャル・プランナーや愛玩動物飼養管理士2級の資格も持つ。