ドッグトレーナー/災害救助犬訓練士・村瀬涼子さん
ドッグトレーナーとして本格的に歩み始めたのは28歳のとき。それまで働いていた福祉施設での仕事が楽しく、「3年で辞める」と決めていたはずが、気づけば6年経っていました。元々家業が犬の訓練所で、数十頭もの犬に囲まれて育ち、自然と自分もトレーナーになるつもりでいました。でも、高校3年のとき、障害児と犬が交流するイベントで、思いがけない光景に出会います。

子供たちが犬にコマンドを出すのですが、慣れない人にとっては言葉として認識しづらい発語。それでも犬たちはしっかり理解し、動いたんです。犬が人の個性や伝え方の違いを受け入れ、応えようとする姿に強く心を動かされ、「人と動物の関わりそのものを深く知りたい。訓練士になる上でも、まずは人を知ることが大切なんじゃないか」と、児童福祉の専門学校へ進みました。
介護福祉士からドッグトレーナーへ。言葉に頼らず心を通わせる力を大切に
卒業後は、知的障害のある方向けのデイサービス施設に就職。犬との時間も確保できるよう、日中勤務の職場を選びました。最初の3年は最重度障害を持つ方々を担当し、食事や入浴介助を行うのが本当に楽しくて! 言葉がなくても、表情やしぐさから気持ちが伝わってくる。こちらの声かけしだいで笑顔が増えたり、不機嫌になったり。慣れてくると内緒話をしてくれたり、髪型や服装の変化に気づいて喜んでくれたりと、信頼関係が生まれてうれしかったですね。
ただ、事務仕事は苦手で、支援計画の立案には苦戦しました。利用者さんひとりひとりの特性や背景を把握して最適なスケジュールを組むのは簡単ではなく、ノウハウの少ない新人時代は特に大変で。でも、先輩が親身に話を聞いてくれたり、一緒に考えてくれたり、とても温かい職場でしたね。ずっと働ける環境でしたが、犬の訓練士は一人前になるまで10年修業が必要とも言われる仕事。体力的にも、キャリアシフトするなら20代のうちだろうと考えるようになりました。まずは父である所長の犬を引き継ぎ、救助犬の試験に参加。また、家庭犬のトレーニングでは、飼い主さんと向き合いながら経験を積んでいきました。
災害の多い日本で、救助犬がその力を最大限発揮できる未来へ
初めて災害現場に出動したのは2014年、広島の土砂災害のときでした。災害救助犬の出動は、現地から要請があって動くことは少なく、自ら出向いて指揮本部と連携をとる形になります。警察や消防、自衛隊とも協力しますが、情報が錯綜してどう動けばいいのか見えにくいこともあります。特に、昨年の能登半島地震では、地域での調整の難しさを痛感。情報共有がスムーズに進まないと、すでに捜索済みのエリアを再び捜してしまうようなケースもあります。
日本のどこかで震度5強以上の地震があればいつでも出動できるよう装備や食料、水を用意してスタンバイするのですが、長年の課題は移動です。人命救助は一刻を争うものの、日本では飛行機や新幹線に複数の大型犬を乗せるのが難しく、「前例がない」と断られることも。必然的に車での移動となり、最善の準備をしても迅速に現地入りできないもどかしさを感じます。
それでも、救助犬がいることで「ここには生存者がいない」と判断できるのも重要な役割のひとつ。発見だけが仕事ではなく、次の捜索隊が効率的に動けるような道筋づくりを意識しています。被災者の方々も、家が半壊して水も出ないような状況の中で「こんな寒いところに、わざわざ来てくれてありがとう」「ワンちゃんがいると癒やされるね」と声をかけてくださる。少しでも力になれたらと思っています。

また、犬たちの仕事は災害現場だけにとどまりません。近年では、行方不明者の捜索、オフィスや商業・宿泊施設でのトコジラミ探知など、より日常に近い場所でも活躍の場が広がっています。特に、年々増加している認知症の方が外出して道に迷ってしまうケースは、捜索犬の嗅覚が重要な役割を果たします。行方不明者のにおいをたどって、その人が通った道を探すことができる。育てた犬たちがだれかの助けになっている姿に、胸が熱くなりますね。
私たちが取り入れているのは、ヨーロッパのトレーニング手法。犬に考えさせ、自発的に動いたように成功体験を積ませることで、トレーニング自体をポジティブなものにするアプローチです。私自身も30代半ばでウィーンの訓練所に半年間留学して自信につながりましたし、「この年からでも変化できるんだ」と、世界が広がりましたね。
ウィーンでの師匠は、何度も世界一に輝いた女性トレーナー。どんな犬でもその場で変わっていく姿を目の当たりにし、長所を引き出せるかどうかは、人の接し方によるものだと実感しました。それまでは、父や兄弟の背中を見て育ち、「犬は女性より男性の言うことを聞くのでは」と、どこかで敵わないと感じていて。でも、性別は関係ないと気づき、「ここは男性にやってもらおうか」と遠慮していた領域がなくなりました。
前職で培った、人と積極的に直接関わる経験は自分ならではの強みです。言葉を話さない犬との関係づくりには、伝え方の工夫が欠かせませんが、それは人とのコミュニケーションにも通じるもの。だからこそ、次世代のトレーナーを育てるときも、ただ指示を出すのではなく、「なぜこの方法がいいのか?」「どうすればもっとよくなるか?」を自ら体験し、考えながら学んでもらうことを大事にしています。生き物を預かる仕事だからこそ、健康管理や排泄処理の重要性もしっかり伝え、犬はもちろん、飼い主さんとの信頼関係も築けるトレーナーになってもらえたらと思います。

最近は家庭犬のトレーニングも変化しています。「しつけ」ではなく、子供の幼稚園や小学校のように、「当たり前の教育」として通わせる方が増えてきました。困りごとが解決し、犬との暮らしがより楽しくなったと言っていただけることが何よりうれしいですね。これからも特別支援学校や福祉施設への訪問も続けながら、犬の力がさまざまな場面で活きることを広めていきたいと思います。
日本は災害の多い国で、国内に救助犬の育成団体は多数あるものの、訓練内容や環境には統一された基準がまだなく、レベルにも幅があります。せっかくの救助犬が十分に力を発揮できなければ、社会全体での活用が広がらない。オーストリアでの国際試験では、実際の災害を想定し、36時間のテント野営を経て旧陸軍施設での瓦が礫れき捜索訓練に臨むなど、より実戦的な対応力が求められました。日本でも、確かな実力を備えた救助犬を育てるため、知識やスキルの指標を整えることが急務だと感じています。私自身も、世界大会に挑みながら最先端の学びを得て、その基盤づくりに貢献していきたいです。
家庭犬のしつけ教室も開催! 個性を生かす『村瀬ドッグトレーニングセンター』

村瀬さんが所属する『村瀬ドッグトレーニングセンター』では、神奈川県藤沢市・長野県富士見町に拠点を置き、一般家庭犬のしつけから救助犬、警察犬、害虫・害獣対策犬などの育成まで、多岐にわたるトレーニングを提供。訓練士の育成も担う。家庭犬のしつけ教室では、犬の個性に合わせて経験豊富なトレーナーが親切・丁寧に指導してくれる。村瀬ドッグトレーニングセンター
2025年Oggi4月号「The Turning Point〜私が『決断』したとき~」より
撮影/石田祥平 構成/佐藤久美子
再構成/Oggi.jp編集部
村瀬涼子(むらせ・りょうこ)
1984年、神奈川県生まれ。『村瀬ドッグトレーニングセンター』所属。犬の訓練所を営む家業の影響で幼少期から犬と共に育つ。保育士、介護福祉士の資格を持ち、知的障害者施設で6年間勤務した後、ドッグトレーナーの道へ。NPO法人救助犬訓練士協会(RDTA)に所属し、災害救助犬の育成・指導に携わるほか、捜索や探知など犬の活躍の場を広げる活動にも尽力。国内外の研修で学び、犬の自主性を重視したトレーニング手法を実践。アジア人女性で初めて、国際救助犬連盟(IRO)主催の「ミッションレジネステスト(MRT)」に合格。国内の警察や自衛隊、台湾の消防にもレクチャーを行っている。