恥ずかしがっていては大人になれない自分の役割を知って演じきる
人前で話すのが恥ずかしい… 恥ずかしさが邪魔をして思い通りの行動がとれない… など、特別シャイな人でなくても、こうした「恥」の意識から一歩踏み出せない人は多いと思います。
引っ込み思案、遠慮がち、そんなふうに言われることもあるかもしれませんが、このために本来の力を発揮できなかったり、伝えたいことが伝わらないのは不本意。恥ずかしがり屋で物事がうまくいかない、というジレンマを払拭するためにはどうしたらいいですか?
名越さんが回答!
これは日本人には特に多い気がします。こういうことをしたら周りの目が気になって恥ずかしいとか、目立つと恥ずかしいとか。
根本的な解決のためには、きちんとペルソナ(仮面)をかぶれるようになりましょう、ということだと思います。
仮面をうまくかぶるには、明確な役割が必要
自分のことで僭越ですが、僕はパーティに行くのが苦手。どういう距離感で相手と話したらいいかわからないし、何を話したらいいのかもわからなくなります。つまり、うまく仮面をかぶることができないと、自分本来の「引っ込み思案」とか「恥ずかしがり」が顔を出してしまう…。
ところが、明確な役割を与えられたり、皆さんが僕に期待している役割がわかると、そのとたんにそれに見合った仮面をかぶることができて話せるようになるのです。どんな人にもいえると思うのですが、役割をもらうことで自分を切り替えられる、違う言い方をすると役者になる部分ってあるんです。
ところが、自分の役割がなかなかわからない、あるいは中途半端に仮面をかぶってしまう人に多く見られるのは、無意識に「子供を演じたい」と思っている状態。だれかに指示して欲しい、それまではぼんやりと手もち無沙汰な子供のようになってしまうのです。
自分からやり始めると責任がかかるのがイヤだとか、目立って人から嫌われるのが怖いという気持ちに支配されている。このように仮面がうまくかぶれないと、人は小学生の子供に戻ってしまうのです。
こう言ってしまうと、身もふたもないと言われるかもしれませんが、臨床的には小学校低学年くらいまでの間に触れてきた、親や周囲の価値観による影響が大きいと言わざるを得ないのです。
絶えず自由な表現を押さえつけられていたり、自分が周りに貢献しようとしてやったことを大人の常識や偏った価値観で否定されたりした経験があると、ここぞというときに子供がえりしてしまう。これが「退行」という現象です。指示されないと動けない自分、役割を担えない自分へと、無意識に気持ちが臆病になってしまうわけです。
ですから、うまく仮面をかぶれるようになるというのは、ひとつの大人の条件。
人に与えられるまでもなく自ら、「相手をもてなす私」「友達の話を興味をもって聞く私」「皆と一緒に楽しむ私」というような役割を自分に与えてしまいましょう。初めはぎこちなくても、密かに何度か試すうちに、次第にうまくこなせるようになると思います。
2019年Oggi4月号「名越康文の奥の『ソロ』道」より
イラスト/浅妻健司 構成/宮田典子(HATSU)
再構成/Oggi.jp編集部
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名越康文(なこし・やすふみ)
1960年、奈良県生まれ。精神科医。臨床に携わる一方で、テレビ・ラジオでコメンテーター、映画評論、漫画分析など幅広く活躍中。著書に『SOLO TIME「ひとりぼっち」こそが最強の生存戦略である』(夜間飛行)ほか多数。