かつて東京一西洋化された街だった築地。その象徴が「築地ホテル館」
数々の感動と興奮のうちに終了したリオ・オリンピック。「SEE YOU IN TOKYO 」、次はいよいよ東京、という実感が徐々に湧いてきた方も多いのではないかと思います。
しかしながら、エンブレムの盗作疑惑→新規募集、メインスタジアム計画の混迷と、これまでも多くの問題が噴出している2020東京オリンピック。今後も競技場建設をはじめ経費が高騰するのではと心配の種は尽きませんが、合わせて懸念されているのが宿泊施設の不足です。
今年6月上旬に史上最速のペースで1000万人超と、訪日外国人客数はまだまだ増加中。アジアからの観光客が主体の銀座通りは「国際通り」の趣。そして銀座4丁目交差点から徒歩10分、国際的観光地となった築地市場にも観光客は多く訪れます。
今回はそんな築地のホテル事情について紹介しましょう。
このコラムの3回目、「東京の文明開化は築地から始まった」でも触れましたが、幕末から明治、築地は東京一、西洋の雰囲気が漂う街でした。当時その象徴だったのが、慶応4年(1868年)に竣工、開業した築地ホテル館です。正式名称は江戸ホテル。木造4階建て、日本最初の西洋式ホテルで、場所は現在の築地市場の立体駐車場あたりにありました。
和洋折衷様式のエキゾチックな外観は東京の新名所としてたちまち評判に。三代広重、歌川芳虎、一曜斎国輝らの浮世絵画家による錦絵で、今もその優美な姿を見ることができます。しかしながらこのホテルは、それから約4年後の明治5年(1872年)に発生した銀座大火で消失。まさに、明治初頭を彩った幻のホテルとなりました。
2020年にむけてホテル建設ラッシュ。その一方で、築地らしいディープな宿も健在
さて、それから140年余の月日が流れ、現在、築地のホテルはどうなっているのか。ひとことで言うと、ビジネスホテルをはじめ、ホテル林立、の状態です。
築地アドレスに古くからあるホテルとしては、銀座キャピタルホテルがあります。本館の開業は1972年、新館は1979年といいますから、老舗です。はとバス直営なので、東京駅丸の内南口はとバス乗り場までの無料送りサービスがあります。
次に、明石町の聖路加ガーデンにある銀座クレストンホテル。1994年、東京新阪急ホテル築地として開業し、2013年、銀座クレストンホテルと改称されました。
そして、ヴィアイン東銀座、京王プレッソイン、東急ステイ東銀座、アパホテル築地駅南、ビジネスホテルバン。これに加え、昨年末、ホテルリブマックス東銀座、この8月末に京急EXインがオープン。変わり種では昨年1月開業の「高級」カプセルホテル=FIRSTCABIN築地と、ビジネスホテルのオンパレード。ビジネスホテル建設の表示が掲げられている空き地が現在2か所あります。
さらに、再来年秋、約300室のライフスタイルホテル、ホテル京阪築地銀座(仮称)が開業との発表。浅草でザ・ゲートホテル雷門を運営するヒューリックが築地でホテル用地を取得との情報もあります。まさに2020年に向けてホテル建設ラッシュですね。
最後に、築地ならでは(?)のディープな宿をご紹介。
まずは、前回紹介したお店「魚四季」がある築地厚生会館。この2階、3階は宿泊施設になっています。場内にある唯一の宿泊施設なので、早起きして見学を目論む方には便利かも。豊洲移転とともに閉館となります。
次に、本願寺境内にも宿泊施設が。本堂に向かって右にある第一伝道会館の3階が宿泊施設です。
そして、築地7丁目にある大宗旅館。築80余年、戦災を免れた木造2階建てのこの施設、現在も立派に営業中のよう。ここだけ時間が止まったかに思える佇まいです。
初出:しごとなでしこ
T.KOMURO
編集者。主として男性向け情報誌の編集長を歴任。2015年5月、住居を築地に移し、愛犬の悟空とともに週末TSUKIJIライフを楽しんでいる。