近代日本経済の父・渋沢栄一って、どんな人?
今最も注目を集める歴史上の偉人。意外と知らない素顔や業績を深掘りします。國學院大學教授 杉山里枝さんに教えてもらいました!
國學院大學教授 杉山里枝さん
1977年生まれ。東京大学経済学部経済学科・経営学科を卒業後、同大学院経済学研究科博士課程を修了。三菱経済研究所、愛知大学経営学部を経て2018年より現職。共著に『はじめての渋沢栄一:探究の道しるべ』(渋沢研究会編/ミネルヴァ書房)。
私たちの生活は渋沢栄一とつながっている…!?
▲渋沢史料館所蔵
Oggi編集部(以下Oggi) 2月から始まる大河ドラマ『青天を衝け』の主人公は、渋沢栄一をモデルとしているそうですね。2024年からは一万円札の顔にもなります。もちろん名前は知っているんですが… 渋沢栄一って、何をした人なのか、よく知らなくて。
杉山里枝さん(以下敬称略) そういう人は多いかもしれませんね(笑)。私は約20年前から渋沢栄一について研究していますが、当初はあまりメジャーな存在ではなかったので「なんで渋沢栄一?」なんて聞かれることもありました。海外の著名な研究者も含め、経済学者の間で関心が高まり始めたのが10年前くらい。それから一般の方にも広まってきた印象です。
Oggi 海外からも注目が集まっているんですか…! その理由は後ほどお聞きするとして、まずは、渋沢栄一がどんな人物なのか、教えていただけますか?
杉山 よく“近代日本経済の父”や“近代日本をつくった”などと称されますが、ひとことで言うと、明治時代に日本で初めて「株式会社」をつくり、その仕組みを広めた人物です。およそ500の企業の設立に携わったことでも知られています。
Oggi そんなにたくさん!?
杉山 はい。現在のみずほ銀行もJRも、東京ガスも帝国ホテルも、もともとは渋沢が手がけた企業なんですよ。
Oggi すごい! 今の日本に欠かせない企業がズラリ。渋沢栄一と無関係に生きている人はいないかもしれませんね。どんな経緯で、それほど多くの会社をつくることになったんでしょうか?
杉山 ひとつの大きなきっかけは、20代後半にヨーロッパに行ったことです。渋沢は江戸時代の末期に埼玉の農家に生まれました。若いころは尊王攘夷の思想に傾倒して倒幕を企てたこともあったそうですが、24歳のころ縁あって、のちに第15代将軍になる一橋慶喜に仕えることに。1867年に次期将軍と目されていた慶喜の弟・徳川昭武に随行してパリ万博に行きました。
そこで目の当たりにした近代社会に衝撃を受けたようです。何しろ日本はまだ、ちょんまげの時代でしたから、「日本はこのままでいいのか? 自分が日本を変えなければ」という思いを強くしたんですね。パリ滞在中に明治維新が起こって帰国し、翌年には静岡藩に「商法会所」という、株式会社の先駆けのような会社をつくっています。
Oggi すごい行動力!
杉山 その後、明治政府にスカウトされて民部省(のちに大蔵省に分離)で働き、富岡製糸場の設立に尽力。33歳で大蔵省を退職し、「第一国立銀行」を開業。“国立”といっても民営の銀行で、今のみずほ銀行の前身ですね。その後も鉄道やガスなど、インフラを整える企業を次々と生み出していきました。80歳近くなってから田園調布や東急沿線の開発に乗り出したりもして、渋沢がいなかったら、渋谷の街も現在のようには栄えていなかったかもしれません。
渋沢栄一は、150年も前から持続可能な企業と社会のあり方を提唱していたんです
Oggi 素朴な疑問なんですが、幅広い分野の企業の“設立に携わった”というのは、どういう意味なんでしょうか?
杉山 第一国立銀行については創業3年目から76歳まで、長年頭取を務めていましたが、そのほかの多くの企業は、設立の際に自分の知名度や人脈を活用してお金や人を集めたり、起業のノウハウを伝えたり、相談役になったり、という形で関わっていたようです。
Oggi 自らが経営して権力を握ったわけではないんですね?
杉山 はい。同じころには三菱、三井、住友といった財閥系の企業も急成長していたのですが、三菱財閥創業者の岩崎弥太郎とはよく対比されますね。三菱などの財閥は当時、ほとんどの会社の株式を公開せず、一族で株式を所有したり、経営のトップに立ったりして、権力と富を集中させることで会社を大きくしていました。一方の渋沢は“合本主義”という考え方を提唱して、お金も人も、少しずつでも合わされば大きな資本になると説いたんです。
Oggi まさに、株式会社の仕組みですね。
杉山 はい。そして会社が軌道に乗ったら自分が出資した多くの株を売却して経営を人に任せ、その利益で次の会社、つまり社会に投資するというスタイルでした。ベースにあるのは「日本という国と、国民を豊かにしたい」という思いです。岩崎も渋沢も、明治時代の経済を大きく発展させたことに違いはないのですが。渋沢が明治神宮外苑の設立に関わっていたときには、「こういう場合こそ、岩崎さんや三井さんに奮発してもらいたいのだけれど…」と思っていたなんて話も残っています(笑)。
Oggi 事業を成功させたら、そのまま大金持ちになりたいと思ってもよさそうなものなのに(笑)。
杉山 私利私欲で動く人ではなかったようです。今、ハーバード大学やロンドン大学の研究者からも注目されているのは、まさに渋沢のそんな姿勢なんですよ。彼が提唱した“合本主義”は、お金だけではなく、人的資本や社会資本も合わせるという点で、いわゆる“資本主義”とは異なります。さらに最近、渋沢の口述をまとめた『論語と算盤』を読み返していて、私見ですが、合本主義の“本”に日本の“本”という意味も込められているのではないかと感じました。
Oggi どういうことですか? 変わったタイトルの本ですが…。
杉山 『論語』はご存じのとおり、中国の孔子が説いた道徳をまとめた書物ですが、日本人の道徳観や倫理観にも大きな影響を与えました。渋沢は幼いときから『論語』に親しんでいて、公益を追求する考え方が染みついているんですね。多くの企業だけではなく、学校や病院、困窮者や孤児などを保護する養育院など、社会事業も600以上手がけています。
そんな中でユニークなのは、社会福祉や慈善事業も経済的に行われなくてはいけない、つまりそろばん勘定が必要だと明言していたところ。社会貢献をしながら利益を上げ、それを自分のものにするのではなく、国や日本経済に還元していく、という考え方です。
Oggi それで『論語と算盤』というわけですか! 確かに、どんなにすばらしい社会貢献をしても、経済的に回らなければ、続けていけないですものね。
杉山 それが今、世界中で取り組まれているSDGs(持続可能な開発目標)とも通じるところなんです。モノをつくればつくるだけ売れていた経済成長の時期には、自分の利益だけを考えていても企業も社会も成長しました。でもその後、バブル崩壊を経て、地球環境や働き方のほころびも見えてきた今は、そうはいきません。利益と倫理のバランスが大事だと多くの人が気づいたときに、渋沢栄一のすばらしさが改めて見直されたのだと思います。
渋沢栄一から私たちが学ぶべきこととは?
Oggi 利益と社会貢献を両立させていた人物がそんな昔からいたなんて、知りませんでした。
杉山 Oggi読者のみなさんが働いていくうえでも、渋沢の考え方は指針になると思いますよ。ひとつひとつの些細な行動でも、自分の利益だけではなく、何か社会に貢献することができるんじゃないか。きれいごとではなく、実践できることはあると思います。お金についても、渋沢は「よく集めよく散ぜよ」と説いているんですが、貯め込むだけではなくて、社会や環境のことを見据えた企業に投資する、なんてことを考えてもいいかもしれないですね。
Oggi 学ぶところが多くて… 偉大すぎますね(笑)。
杉山 親しみやすいところもあるんですよ。よく食べる人物だったようで、好物はオートミール。また甘いもの、特に飴が大好きだったとか。地方の事業を進めるために、フットワーク軽く全国各地に自ら赴き、人と会うことを大切にしていたそうです。私生活では最初の妻と40代で死別してその後再婚していますが、婚外子も多く、子孫が多数います。長男の相続権を取り上げるなど、子育てでは苦労したこともあったようですね。
Oggi そんな一面も…。
杉山 東京都北区にある旧渋沢邸跡地に建てられた渋沢史料館では、渋沢の当時の暮らしにも触れることができますよ。
Oggi ちなみに…“現代の渋沢栄一”はいますか?
杉山 ときどき考えるんですが、思い当たらないんですよ。渋沢が91年の人生で多くのことを成し遂げたと考えると、今後、長い時間をかけて匹敵するような人物が現れるかもしれませんが。
Oggi では、もし渋沢栄一が現代日本に生きていたら、どんなことをすると思いますか?
杉山 あくまでも個人的な見解ですが、情報インフラの整備に力を入れるんじゃないでしょうか。製造業が強かったときは日本の経済も元気でしたが、今は情報通信分野全盛の時代。GAFAをはじめとしたアメリカなど外国のインフラを享受するばかりで日本独自のサービスに乏しく、日本の世界的立場が弱くなっていますからね。渋沢だったら、もっと情報基盤に投資するよう、政府に提言したりするかもしれないな… などと考えることはあります。
Oggi なるほど! 課題に直面したとき、「渋沢栄一だったら…?」という視点は役に立ちそうですね。これを機に渋沢栄一のことをもっと学んでみます。
知っておきたい! 渋沢栄一のKEYWORD
【1】岩崎弥太郎
1835年~1885年、土佐藩出身の実業家。明治維新後は政府の支援のもとに事業を成功させ、三菱財閥の創業者に。渋沢栄一とは同時代を生き、協力し合うことも多かったが、独裁的な手法で企業を運営する岩崎とは経営理念が相いれず、ときには対立することもあったとか。
【2】合本主義
「公益を追求する目的を達成するために、最も適した人材や資本を集めて、事業を推進させる」という考え方。渋沢栄一は数々の起業を手がける以前、大蔵省の役人時代に、会社組織の導入を主張する『立会略則』という本を出版。その中ですでに「合本」という言葉を提唱している。
【3】論語と算盤
「道徳(論語)と経営(算盤)は合一すべきである」と考えていた渋沢栄一が経営哲学を語った談話集。ビジネスパーソンのバイブルとして読み継がれているロングセラー。原文版(写真/角川ソフィア文庫)のほか、読みやすい現代語訳やマンガ版なども出版されている。
【4】渋沢史料館
東京都北区飛鳥山公園内の渋沢栄一旧邸「曖依村荘」跡に設立された博物館。2020年11月にリニューアルオープンされ、渋沢栄一の思いや人生に触れることができる。同敷地に残る大正期につくられた洋風茶室と洋館も見学可能。現在は公式サイトからの完全予約制&1日2回の入替制。
渋沢栄一をモデルにした大河ドラマが2021年2月からスタート!
数々の偉業を成し遂げノーベル平和賞の候補にも2度選ばれた渋沢栄一を、血気盛んな人間味あふれるひとりの男性として描く『青天を衝け』。幕末から明治の時代の渦に翻弄され、挫折を繰り返しながら未来を切り拓いた渋沢の〝青春〟とは。主演は吉沢亮さん、脚本は大森美香さん。放送開始は2021年2月14日(日)20:00~NHK総合ほかにて。
2021年Oggi3月号「Oggi大学」より
イラスト/八重樫王明 構成/酒井亜希子(スタッフ・オン)
再構成/Oggi.jp編集部