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LIFESTYLE

2017.04.15

【築地散歩】築地市場とは全く異なる築地のもうひとつの風景、外国人居留地の面影残る“明石町”へ

築地のランドマーク「聖路加国際病院」

築地の朝。未明から動き出す市場とは違い、筆者のような築地居住者の朝は築地本願寺の鐘の音で始まる、というお話をこのコラムの5回目で書きました。この本願寺と並ぶもうひとつの築地のランドマークが、明石町の聖路加国際病院、聖路加国際大学です。

旧館の上にそびえ立つ十字架の塔。毎朝8:30、そして正午、夕方18:00の3回、この塔にあるカリヨン・チャイム(複数の鐘で演奏する楽器)から聖歌のメロディーが流れてきます。メロディーは、おそらくは月替わり(確認したわけではありませんが)。周囲に響き渡るとても優しい鐘の音色です。このチャイムの初代は1962年に米国聖公会の有志から寄贈された米国シュルメリック社製のもの。1987年と2008年にリニューアルされているそうです。

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▲青空に映える聖路加国際病院旧館の十字架の塔。1日3回、この塔からやさしいメロディーが流れてきます。

ところで聖路加を、つい「せいろか」と発音してしまいがちですが、正しくは「せいるか」です。有楽町駅前、東京交通会館とITOCiAの間を発し、松屋とブルガリの間で銀座通りを横切り、築地に伸びる一本道、銀座マロニエ通りは、新大橋通りを渡ると「聖ルカ通り」という標識が掲げられています。「聖路加通り」と表記しなかったのは、正しくは「せいるか」なんだよ、というアピールなのかもしれません。

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▲聖ルカ通りの標識。英文字でも、St.Luke’sではなく、SEIRUKAと表記されています。

さて、聖路加国際病院といえば、御年105歳になられる日野原重明名誉院長をすぐに連想される方も多いことでしょう。日野原先生には数多くの著書がありますが、子どもでもやさしく読めるように書かれた「戦争といのちと聖路加国際病院ものがたり」(2015年・小学館刊)には病院の生い立ちからご自身とのかかわり、病院が経験した太平洋戦争の戦前・戦中・戦後の姿が、丁寧に、ありのままに綴られています。

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▲「戦争といのちと聖路加国際病院ものがたり」(2015年・小学館刊 ¥1296)。日野原名誉院長が子どもたちに向けて「戦争はいじめと同じです」と語りかけます。

「聖路加国際病院」の歴史

米国の宣教医師、アドルフ・B・トイスラー氏が、当時、外国人居留地だった(コラム3回目参照)この地に、小さな診療所「聖路加病院」を開設したのは1902年(明治35年)。病院名に「国際」が加わったのは1917年(大正6年)。そして1920年(大正9年)には、現在の聖路加国際大学の前身である聖路加国際病院付属看護婦学校が設立されています。この学校は高等看護教育を行う日本初の施設だったそうです。

その後、1923年(大正12年)の関東大震災で病院の建物は崩壊。地上6階地下1階の新病院が完成したのは1933年(昭和8年)でした。その1年後に、創設者のトイスラー院長は58歳で逝去します。太平洋戦争中には「大東亜中央病院」と名称変更され、戦後は病院と学校の建物すべてをGHQが接収。東京大空襲時、築地明石町周辺が空襲を免れたのは、この病院の接収を目論んでいたため、と言われています。すべての建物の接収が解除、返還式が行われたのは1956年(昭和31年)のことでした。

それから約40年後、大学の新校舎、病院の新病棟が1992年から1997年にかけて完成。現在、私たちが目にする姿となります。その際、かつての建物の一部は保存、改修工事が施され、移設されました。十字架の塔がある旧館がそれです。

まるで西洋の古い教会!「聖ルカ礼拝堂」

旧館に入ってみましょう。2階には荘厳なチャペルがあります。聖ルカ礼拝堂です。正面と側面にはステンドグラスが、チャペルに入って入り口を振り向くと1988年設置のパイプオルガンがあります。パイプ総数は2077本で、フランスのマルク・ガルニエ・オルガン工房製。このチャペルは一般に公開されており、誰でも参加できる礼拝、そして毎月第一水曜日の18:30からは「夕の祈り」と題されたオルガン演奏と祈りの催しが開催されています。石造りの古い礼拝堂での静かな祈りのひとときは、西洋の古い教会にいるかのような錯覚を起こすかもしれません。

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▲チャペル入口上部にあるパイプオルガン。本文で紹介した「夕の祈り」のほか、毎月第2水曜日には「患者さんのためのオルガンアワー」も開催されています(写真左)。聖ルカ礼拝堂内部。天井が高く荘厳な石造りです。写真ではわかりにくいですが、正面の窓はステンドグラス(写真右)。

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▲チャペルのサイドにもステンドグラスが。やわらかな光が降り注ぎます。

中央区民有形文化財「トイスラー記念館」

もうひとつ、構内に当時の面影を伝える建造物があります。それが創立者の名を冠した「トイスラー記念館」。入口の銘板には「1933年(昭和8年)、新病院が新築完成した頃、トイスラー院長が宣教師会館として、また迎賓館として隅田川河畔にある第3街区(現在の聖路加ガーデン)の芝生に建てられたもの」と説明されています。1998年、再開発計画に基づき、この場所に移築復元。残念ながら内部は非公開。約1年半前、日野原名誉院長と、1歳年下である美術家、篠田桃紅さんのトイスラー記念館での対談がTV放映されていたのを思い出します。

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▲中央区民有形文化財に指定されているトイスラー記念館。室内は非公開なのが残念。

東京で最も古い教会のひとつ「カトリック築地教会」

この聖路加国際病院のほど近くにあるのが、東京で最も古い教会のひとつであるカトリック築地教会です。築地が外国人居留地だった1871年(明治4年)に、前身である稲荷橋教会が商家を借り受けて設立。その3年後、この地に司祭館と聖堂が建てられ、1878年(明治11年)にゴシック様式赤レンガ造りの築地聖ヨゼフ天主堂が創建されました。残念ながらこの建物は関東大震災で焼失。現聖堂が再建されたのは1927年(昭和2年)です。この教会も戦災を免れ、当時の姿を現在に留めています。石造建築に見えますが、実は木造。ギリシャ神殿建築を思わせる外観は、当時の東京大司教であるレイ大司教の希望によるものだそうです。

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▲ギリシャのパルテノン神殿を彷彿させる外観のカトリック築地教会。正面の扉は閉じられていますが、向かって右に入り口があります。

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▲築地教会の内部にも外観と同じようなギリシャ風の列柱が。毎週土曜日の夕刻、ミサが行われるほか、数々の行事が催されています。

前回のコラムで紹介した築地6、7丁目から明石町へ向かうと、聖路加国際大学、国際病院、および公園、公共施設がゆったりと配置され、都心にあって緑が豊かなのに驚かされます。これからの薫風が心地よい季節、築地市場での買い物ついでに裏築地から明石町へ、足を延ばしてみることをお勧めします。市場とは全く異なる築地のもうひとつの風景があることに気づかれることでしょう。

初出:しごとなでしこ

T.KOMURO

編集者。主として男性向け情報誌の編集長を歴任。2015年5月、住居を築地に移し、愛犬の悟空とともに週末TSUKIJIライフを楽しんでいる。


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