日本の奥深さを知る、歌人・葛原妙子の短歌集
日本語は直接的な表現が避けられ、省略する傾向にあります。その背景には気遣いや謙虚さがあり、聞き手が話し手の意図を汲み取ることもしばしば。そんな中でも、短歌は限られた音のみで、世界観を描き出しています。
今回書評家の石井千湖さんがおすすめするのは、歌人・葛原妙子の短歌を楽しめる一冊です。
正解がないからこそ楽しめる短歌の世界!
『葛原妙子歌集』
お正月に遊ぶカルタでおなじみの百人一首など、日本人にとって身近な文学である短歌。五七五七七の三十一文字を基本形として、さまざまな感情や光景を描きだす。『葛原妙子歌集』は、中原中也と同じ年に生まれ、第二次世界大戦後「歌はうつくしくあらねばならぬ」をモットーに活躍した葛原妙子の作品のなかから、1500首を厳選している。
たとえば「水かぎろひしづかに立てば依らむものこの世にひとつなしと知るべし」という歌は、敗戦を経て既存の価値観が崩壊した世界に立ち向かう強い意志が感じられて、目が覚めるような心地がする。娘(をとめ)への祈りがこめられた「早春のレモンに深くナイフ立つるをとめよ素晴らしき人生を得よ」もいい。「くらがりに夫がめがねはきらめきつ虚ろに硬き硝子質のまま」は、夫との距離を垣間見られる。生活感がありつつ手垢にまみれない言葉に魅入られてしまう。
『橙黄』から異本『橙黃』まで、それぞれの歌集から優れた歌が採用されているが、『朱靈』だけは1冊まるごと完全収録されている。俳句・短歌界に最高の業績を示した句集・歌集に贈られる迢空賞を受賞した代表作だ。解説によれば、初めてのヨーロッパ旅行をして西欧への意識の変化が見られる歌集だという。
なかでも「他界より眺めてあらばしづかなる的となるべきゆふぐれの水」「疾風はうたごゑを攫ふきれぎれに さんた、ま、りぁ、りぁ、りぁ」が傑作として有名だ。醸しだすイメージといい、音の響きといい、忘れられないインパクトがある。「すこしずつわが食べてしまふものとして口脣の朱をおもひゐるなり」は、口紅を塗るたびよみがえる鮮烈さ。ほかにも耽美な天使の歌があるかと思えばゴキブリが出てくるユーモラスな歌もあって、繰り返し読んでも飽きない。
短歌に限らず、詩はすべてを説明しない。だからこそ、読者の解釈の幅が広く、時代にも左右されづらく、長い間、楽しめる。お気に入りの歌集を見つけたら一生ものだ。無理に意味を理解しようとせず、自分の感覚を信じて、好きな歌をゆっくり味わってほしい。
『葛原妙子歌集』(書肆侃侃房)
著/葛原妙子 編/川野里子
第二次世界大戦後、本格的に作歌活動を始め、1949年「女人短歌会」創立メンバーとなった葛原妙子。超現実主義短歌を推進し、戦後の歌壇に多大な影響を与えた。本作は、著者の全歌集から厳選された1500首を掲載。葛原妙子の壮大な短歌の世界を堪能できる一冊。
2022年Oggi2月号「働く30歳からのお守りBOOK」より
撮影/新垣隆太(パイルドライバー) 構成/正木 爽・宮田典子(HATSU)
再構成/Oggi.jp編集部
TOP画像/(c)Shutterstock.com
石井千湖
いしい・ちこ/書評家。大学卒業後、約8年間の書店勤務を経て、現在は新聞や雑誌で主に小説を紹介している。著書に『文豪たちの友情』、共著に『世界の8大文学賞』『きっとあなたは、あの本が好き。』がある(すべて立東舎)。