「ママ、死んでもいいよ」の理由とは? 作家・岸田奈美さんの家族愛
岸田奈美さんが高校生だったとき、母・ひろ美さんは大動脈解離で生死をさまよい、手術の後遺症で下半身不随となり、車いす生活を送ることになりました。
そんなひろ美さんにやっと外出許可が出て、ふたりででかけた日、あるファミレスで、ひろ美さんが泣きながら告白します。「もう死にたい」と。そのとき、奈美さんが答えた言葉は「ママ、死んでもいいよ」だったそう。
「死にたいくらい絶望しているのはよくわかっている。私が否定したらダメだ。でもすぐ“生きていてほしい”という気持がわいてきて、“でもママ、もう少し私に時間をちょうだい。生きててよかったって思えるようにするから。2億パーセント大丈夫!”と言いました」(奈美さん)
「死んでもいいよ」という言葉に一見ギョッとしてしまうのですが、この一言でひろ美さんは「生きたい」という気持がわいてきたといいます。命を救った言葉なのだと。
しかし、発言した奈美さん自身は言ったことを忘れてしまい、数年後、ひろ実さんからそのエピソードを聞かされて思い出したのだとか。
「病室で“死にたい”といっているところを見てしまったことがあるし、手術の同意書にサインしてしまったのは私だから、私のせいでもあると思っていました。もし“死にたい”といわれたら“死んでもいいよ”と答えようと決めていました。
でも、ものごとには2面性があって、正直、面倒くさいという気持ちもあったんです。愚痴の範囲やなと。どうしようという気持ちもあったけど、根底に面倒くさいがあったからいえたのかもしれません。もちろん関係性があってこその発言ですが」(奈美さん)
◆「お母さんが死ねばよかった」の後悔
奈美さんが高校生のとき、「私は友達にも先生にも嫌われている」と学校に行けなくなった時期があったそう。そのとき、奈美さんはひろ美さんに「お父さんじゃなくて、お母さんが死ねばよかったのに」といってしまったことがあると言います。
「お父さんは突拍子もなくて、おもしろくて私のことをわかってくれる。でもお母さんは心配性で真面目で私のことをわかってくれない。すごくイライラしてしまって、ひどいことを言ってしまいました。本当に死んでほしいわけではなくて、それくらい自分は辛くて苦しいんだと伝えたかっただけなんです。親子であっても、本音で話し合えるわけではないんです。今日会ってもう会わない人の方が、よっぽど本音をいえるかもしれません」(奈美さん)
奈美さん自身はその発言を後悔しますが、今度はひろ実さんが言われたことを忘れていたのだとか。
「奈美ちゃんが本当にそう思っているわけではないってわかっていたから。それまで、お父さんが亡くなってしまって、私に気を遣っているのが伝わってきていたけど、この暴言で、奈美ちゃんは私に甘えられている、よかったな、と思えました」(ひろ美さん)
◆母に「死んでもいいよ」といった日 岸田奈美トークショー1
◆愛せる距離感を探して
まるで友達同士のような奈美さんとひろ美さん母娘。普段はどんな距離感でつきあっているのでしょう。
「母は神戸で私は東京と、いまは離れて暮らしていますが、お母さんの機嫌が悪いときはあえてつっこんでいったり、機嫌がいいときは放っておいたり、プロレスのような様式美があるんです。私が反抗期でずっと機嫌が悪いとき、お母さんは私が機嫌のいいときをずっと探っていて、それが車の助手席に座っているときだった。そのときはよくお話していました。
あと、弟の良太とはずっとしゃべらなくても一緒にいられる。しゃべらずに1泊2日一緒にいられる人はほかにはいません」(奈美さん)
そして、家族との心地よい距離感には個人差があると言います。
「年に1回だけ会うのがちょうどいい距離感とか、会わないことがいい距離感とか人それぞれだと思うんです。家族だから愛さなければならない、ということではなく、愛せる距離感を探る、というのも方法のひとつだと思います」(奈美さん)
※本原稿は、青山ブックセンターで行われた岸田奈美さんのトークイベントの一部を再構成したものです。
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TOP画像イラスト/岸田奈美