第100回大会ということは、100回続けてきた人々がいるということ
青山学院大学が優勝した、記念すべき第100回を迎えた2024年の箱根駅伝。各家庭にてテレビ中継で駅伝を眺めたり、応援に行くのが毎年恒例! と沿道で声援をおくったり。選手の姿に胸を打たれる風物詩ですが、今回年始にこの小説を読んでから見た箱根駅伝は格別でした。
昨年末、2023年12月13日に発売されたばかりの小説、額賀澪さんの「タスキ彼方」(小学館)は、現在と戦時中を行き来しながら箱根駅伝を描いた小説。
第100回の箱根駅伝に挑む現在の物語の主人公は、数年ぶりに本線に出場できることになった大学の監督。その陸上部のエースと臨んだボストンマラソンで、戦時中の箱根駅伝の開催を綴った1人の運営者の日記を譲り受けます。その日記の主を軸にして描かれる戦時中の箱根駅伝や、当時の学生の熱い想いが綴られたストーリーです。
戦時中の場面、最初に登場した選手、本当は5区の選手だったのに、5区を走ってからだと徴兵のために地元に向かう電車に間に合わないからと1区を走り、そのまま出兵。その選手に1区を譲り自身は10区を走って、翌年開催が厳しくなりコースを変更して開催した「青梅駅伝」を走って出兵していった選手。その選手が箱根を走りたかったと言い残した姿を胸に、戦時下最後の箱根駅伝を復活させタスキを渡した選手。駅伝でタスキをつなぐように、それぞれの選手の想いを繋いでいく展開が本当に印象的でした。
戦時下最後の箱根駅伝では、1区のスタートからゴールまで、走る選手の描写や、10人走者を揃えられなかったからと運営側に回った人々の気持ちなど、臨場感あふれ、夢中になって読みました。
「大学で学問がやりたかった。陸上がやりたかった。戦争が始まったら、そのどちらも許されなくなった。それでもこうして箱根を走ることが許された幸運を、きっと、全員が噛み締めて走っている。だからたとえ走るのが苦しくとも、辛くはないのだ」
この文章を読んで、涙が出ました。開催への険しい道、軍部に学生の身分で交渉に行くという挑戦、予算をかき集める挑戦。様々な想いがあって開催された大会。選手の多くは、走った後出兵していくのですが、戦後生き残ったメンバーがその想いをまた苦労して繋いでいったところも感動的でした。
自分達にとっての当たり前を、喉から手が出るほどほしかった人達がいたんだということ。戦争の事はきちんと勉強して、年表上では理解しているつもりですが、こうやって登場人物の心理描写を伴う小説で読むと、当時の人たちがどういう気持だったか、もし自分だったらどう感じるだろうか、こんな風に真摯に祈るような気持ちでいたのかなとか、清々しい気持ちだったのか? あるいは悔しかったのか。たくさんの感情を想像し感じる事ができます。
自分自身の、箱根駅伝の見方も変化
箱根駅伝、面白いので毎年見てはいるものの、私自身実を言うと100%清々しい気持ちで見ることができていませんでした。陸上一筋の学生生活を送り、時に優勝候補という期待を背負い、予選敗退だなんてと愚痴を言われたり… 1人の学生としてもっと尊重してあげたほうがいいのでは? と少し斜に構えて見てしまうこともありました。
でも、この小説を読んでその考えは全然違うんだなという気持ちになりました。箱根駅伝という特別な目標に向かって、仲間と一生懸命練習し自分の心も身体も鍛え上げてきたそのこと自体と、タスキと想いを繋いで、それを走りきったという事が大きな大きな財産になって、その後の競技人生も、社会人人生も、自分を強くしてくれるんだなとすごく素直で清々しい気持ちで、そう感じる事ができました。
第100回大会、100まで繋いできた、100まで走ってきた人々に改めて敬意と憧れを持った、そんな素敵な小説でした。
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オッジェンヌ 大枝千鶴
2015年からOggi読者モデル「オッジェンヌ」として活動。営業職という仕事柄、通勤服は好感度が最重要事項。最先端のIT企業で働きながらも歌舞伎と着物が大好きという古風な趣味をもつ。一級きもの講師。Instagramアカウントはこちら:@chizuru_oeda