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LIFESTYLE

2022.11.25

高橋 優の仕事術「ピンチヒッターをチャンスに変えるために」【働く私にMusik・高橋優】Vol.1

J−WAVEの人気ナビゲーター・サッシャさんが旬のミュージシャンと対談する音楽連載。Web限定版、今回のゲストミュージシャンはシンガーソングライターの高橋 優さん。等身大の言葉でつづられるメッセージ性にあふれた歌詞で、私たちリスナーの心を熱くする高橋さんが約2年ぶりとなるオリジナルアルバム『ReLOVE & RePEACE』をリリース。初回は高橋さんがデビューに至るまでの話をお届けします。

【働く私にMusik】誘われたライブは絶対に断らない!
出会いの場を自ら開拓してチャンスに繋げる

高橋優さんとサッシャさん

◆Guest Musician:高橋 優

たかはし・ゆう/1983年生まれ、秋田県出身。シンガソングライター。2010年7月にシングル『素晴らしき日常』でメジャーデビュー。’15年にはメジャーデビュー5周年を記念した初のベストアルバム『高橋優 BEST 2009-2015『笑う約束』』をリリース。また’16年より、コロナ禍になるまで毎年9月に地元・秋田にて開催していた野外音楽フェス「秋田CARAVAN MUSIC FES」を、今年は3年ぶりに開催した。現在、2年ぶりとなる8thオリジナルアルバム『ReLOVE & RePEACE』が好評発売中!

だれかのコピーをしていてもその人にはなれない。自分主導で動き始めたことで人生が動いた

サッシャさん(以下、S):改めて、高橋さんが音楽を始めたころの話を聞けたらと思います。

高橋 優さん(以下、T):中学の学園祭でGLAYのコピーバンドをやったのが最初だったと思います。なんていうか、同世代の子たちの前でしっかりバンドみたいなことやったという意味で。当時は運動部に所属していたので、坊主頭で学ランを着てTERUさんの真似をしてました(笑)。

S:いいですね(笑)! 当時から、もうミュージシャン希望だったんですか?

T:いえ、純粋に歌うことが好きで。父親が民謡の歌手をしているのですが、その背中を見て育ったことが大きいです。仕事から帰ってきてもカセットプレイヤーと一体化したカラオケマイクでずっと歌っているほど、父も歌うことが好きで。僕も3、4歳のころから吉 幾三さんのモノマネをして歌ったり、親戚が勢ぞろいしたところで演歌を歌ったりもしていました。

S:お父様の影響なんですね。コピーバンドをしていたころはどんな学生だったんですか?

T:中学時代は男子の後輩たちから、やたら支持されたのを覚えています。卒業するときに、女性が好きな男性から第2ボタンをもらう風習があるじゃないですか。僕はあれ、女子からはひとつもリクエストなかったんですけど、男子からのリクエストがすごくてボタンが無くなったほどです(笑)。

S:ええ〜〜!

T:中学デビューだったと思っています(笑)。小学校時代は友達が少なかったから。

S:中学校に入って何が変わったのですか?

T:陸上部に入ったことかな、と思います。小学校のころはぽっちゃり系だったんですけど、陸上部に入ってからシュッとなって。練習で一緒に汗を流す仲間ができたことで、メンタル的にもさわやかになれた。これは自分にとって大きな変化でした。高校に入るとBRAHMANとかモンパチ(MONGOL800)、ハイスタ(Hi-STANDARD)とかゴイステ(GOING STEADY)、山嵐とかのコピーバンドを始めたりして。当時、すごく流行っていたんですよね。

S:はいはい! わかります。’90年代後半から2000年代初頭の音楽シーンですね。

T:でも、少しずつコピーバンドをやることに疑問を抱くようになってきて。当時の音楽は今でも大好きですけれど、BRAHMANのコピーばかりしていてもBRAHMANにはなれないわけで…。その辺りから、オリジナルの曲をつくるようになりました。

S:陸上部の活動と並行して曲づくりをしていたのですか?

T:うーん、なんというか…。陸上部は高校1年生まで続けていたんですけど、ケガをして辞めたんです。僕としては真剣にプロの陸上選手になりたくて頑張っていたんですけど、試合中に転倒して。疲労骨折だったみたいで、お医者さんから3か月は安静にと言われました。僕としては「1日練習しなかったら3日遅れをとる」と信じていて、9か月分の遅れをとってしまうことになると思ったら、心が折れてしまって。部活に行かなくなってからは楽器屋さんに入り浸るようになって、そこでギターと出合いました。

S:そこから本格的に曲づくりをするようになったんですね。

T:そうですね。その後は、大学進学で札幌に引っ越して路上ライブを始めるようになって、そこで知り合った仲間と〝カリフォルニアキット〟というバンドをやっていた時期もありました。メンバーのひとりがビデオカメラを持参して「『カウントダウンTV』をご覧の皆さん、どうもカリフォルニアキットです、って言う練習しようぜ!」とかやってて(笑)、楽しかったですね。

S:まだデビューもしていないのに(笑)?

T:そう(笑)。でも長続きしなかったんです。「優君にはついていけない」と言われて、1年弱で解散に…。

S:どうしてですか!?

T:僕、練習がしたかったんです。だからスタジオの予約をめちゃくちゃ入れるんですけど、そうなるとスタジオ代はみんなで割り勘だから、時間とお金を使うわけですよね。みんなは彼女ができたりして、これだけに時間とお金は使えなくなってきたりしていて。

そういう僕も、浮き足立っていた部分があったんですけど。でも、カリフォルニアキットのメンバーが抜けて自分ひとりになってから、自主制作でCDをつくって路上販売を始めました。ライブハウスを借りるにしても「○人集められなかったら坊主にします!」という企画ライブをやったり、ツアーも組んだりして。それが大学3年生くらいのころだったと思うんですけど、このころから「本気で音楽をやろう」と決心がついた気がします。

S:そこからライブのお客さんも増えていった感じですか?

T:そうですね。自分自身でもどうしたいのかわからず、ふわっとしていたときはライブにお客さんが入らなかったんです。でも、自分主導で動くようになったタイミングで、不思議とお客さんが増えて。思いは伝わるんだなと、そのとき思いました。

S:そこからプロの道へ進んだきっかけはなんだったのでしょう。

T:大学を卒業してからも札幌にはいて、就職しないで映画館でバイトをしながら路上ライブを続けていました。そうしたら、メインで出演するバンドのオープニングアクトに空きが出たからということで、急遽、ライブに誘われたんです。2〜3曲歌って盛り上げてくれたらいいからって言われて。ギャラは出ないけど、僕にとってもいい経験になると思うよと。

当時は誘ってもらったライブは絶対に断らないって決めていたので、なんのためらいもなく出演しました。そうしたら、そのメインのバンドを見に来た某芸能プロダクションの方が僕に声をかけてくれて。

S:お目当てのバンドじゃなくて!? わからないものですね。

T:そうですね。僕、出会いには恵まれていると思っています。

S:でも、今の話を聞いていると、高橋さん自身が出会いの場をつくりに行っていますよね。決して偶然じゃないと思います。

T:あ……、実は僕もそう思っている節があるかも。恵まれていると言いつつも、出会うべくして出会ったのかもしれないという気持ちもどこかにあって。

S:うん、それはきっと出会うべくして出会っていますね。僕、すべては必ず、だれかの代理から始まると思っているんです。ピンチヒッターで入ったことで、思いがけず実力を認めてもらえることってあります。高橋さんは、そのピンチヒッターの席を自分で見つけにいったのだと思うんです。

T:なんだか染みわたるものがあります、その言葉…。だれかの代わりにやるってプレッシャーもあるじゃないですか。でも、それと戦いながらも代わりが務まるように一生懸命頑張るしかないない。だから、サッシャさんがおっしゃるように、ピンチヒッターがチャンスになりうると言ってもらえると励みになりますね。これは読者の人にとってももちろんだし、何かを頑張っているすべての人の励みになる言葉ですね。

S:そうそう。だれにでも絶対にチャンスはあるはずなんですよ。それをしっかりつかみとるための準備こそがすべて!

だれもが憧れる地位や名誉に憧れるより、自分自身が納得できる仕事をしたかった

高橋優さんとサッシャさん

S:ここでちょっと話を戻しますね。高橋さんがプロのミュージシャンになるきっかけは、急遽、代打で出演したライブだった。そこから東京に出てきたんですか?

T:はい、スカウトされたのが2007年9月でした。そのときはまだ映画館でアルバイトをしていて、そっちの仕事をおろそかにしたまま東京に出るのがイヤでした。

S:さっき話してたあの映画館ですか?

T:はい、そこで50人くらいいるスタッフのシフトを僕がつくっていて。で、代わりがいなかったもので。年内は引き継ぎ業務があるので東京に出れませんって、スカウトしてくれた担当者に言ったんです。

S:夢を追いかけているならすぐに行けばいいのに(笑)、律儀なところがあるんですね。

T:そうしたら、スカウトしてくれた人も義理を大事にする方だったみたいで待ってくれたんですよね。そんな感じで、映画館でアルバイトをしながら札幌と東京を何度も行き来して、翌年の’08年に上京という流れです。でも、そこから2年間くらいデビューしなかったんですよね…。

S:よく辞めなかったですね。

T:なんか変に自信があったというか…。自分よりすごいパンクだったり、さわやかだったりする人はいても、僕みたいにどっちつかずな感じの人がいないと思ったから、どこかでだれかに見つけてもらえれば面白いことになるんじゃないかな、と思っていて。そうしたら札幌で事務所の人に声かけてもらった。その成功体験のお陰で、自分の中に小さな自信が生まれたんだと思います。だから、辞めるという選択肢はありませんでした。むしろ続けることで、もっと自分の色を濃くするというか、自分の刃を研ぎたかったというか。

S:それで10年以上も続けてこられたのは、きっと簡単ではなかったと思います。

T:認められた経験が少なかったのがよかったなって思っています。ドカーンって売れたわけでもなく、メジャーデビューをさせていただいたのが’10年で27歳だったんですけど、多感な時期をしっかり孤独に過ごさせてもらったというか(笑)。路上ライブとかしていると、面と向かって唾を吐かれることもあって。だから、今こうして取材でミュージシャンかのように話させてもらえることが本当に幸せ。それはおそらく、そうじゃない扱いのほうが自分の中でまだ大きく残っているからだと思います。

S:今の自分は、夢を見ていたころと比べてどうですか。

T:僕の場合、デビュー当時から「日本武道館に立つぞ!」という夢がなくて。もっと気持ちよく歌を歌いたいとか、もっとだれかひとりに刺さる歌をつくりたいとか。そういうことを考えてきたから、もともと夢がないんです。

S:なるほど。

T:大きなステージに立つとかチャートで上位に入るとか、そういうことより、音楽をやればやるほど、もっといい曲が書けたはず、ライブでもっといいパフォーマンスができたはずって常に目指すものが出てくるから。だから、さっきサッシャさんがおっしゃったことに繋がりますけれど、自分にチャンスが来たときに、務まる自分でいられるかどうか考えることって尽きないですよね。今は言葉がメロディーに乗っかった状態で歌えるようになりたいなと思っています。

S:だれかを納得させるための夢ではなく、自分自身がいかに納得できるかというところを高橋さんは大事にされていたんですね。

T:自分を納得させるための夢ならいっぱいあります!

<→Vol.2へ続く

【Information】2年ぶりとなる8thオリジナルアルバム『ReLOVE & RePEACE』が好評発売中!

高橋優さんの8thオリジナルアルバム『ReLOVE & RePEACE』のジャケット

先行配信シングル『勿忘草』のほか、ドラマ24『生きるとか死ぬとか父親とか』(テレビ東京系)のオープニングテーマ『ever since』、JICA海外協力隊 CMソング『Piece』、BS1スペシャル「侍たちの栄光~野球日本代表 金メダルへの8か月~」(NHK)のテーマソング『HIGH FIVE』などを含む全12曲収録。/¥3,300(通常盤)ワーナーミュージック ジャパン

【LIVE Information】高橋優 LIVE TOUR2022-2023
「ReLOVE & RePEACE 〜ReUNION前編〜」

ファンクラブ限定公演となる12月23日の神奈川・よこすか芸術劇場を皮切りに、2013年1月から3月にかけて、全国11箇所14公演を予定。

特設サイト

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【高橋 優さん衣装】
ジャケット¥29,700・ロングスリーブTシャツ¥16,500・パンツ¥25,300・スニーカー¥30,800(Sakas PR〈ATTACHMENT〉) ネックレス¥16,500(Sian PR〈LION HEART〉) その他/スタイリスト私物

【サッシャさん衣装】
ジャケット¥374,000(イザイア ナポリ 東京ミッドタウン〈イザイア〉) その他/スタイリスト私物

【協力社リスト】
Sakas PR:03-6447-2762
Sian PR:03-6662-5525
イザイア ナポリ 東京ミッドタウン:03-6447-0624

撮影/松木康平 スタイリスト/上井大輔(demdem inc./高橋さん分)、久保コウヘイ(サッシャさん分) ヘア&メイク/中込奈々(高橋さん分)、坂口勝俊(Sui/サッシャさん分) 構成/宮田典子(HATSU)

サッシャさん

Navigator:サッシャ

1976年、ドイツ・フランクフルト生まれ。10歳のときに日本に移住。日本語、ドイツ語、英語のトライリンガル。J-WAVE『STEP ONE』ナビゲーター、『金曜ロードショー』(日本テレビ系)などにレギュラー出演するほか、各種スポーツ実況をはじめ、多方面で活躍中。

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Oggi12月号で商品のブランド名に間違いがありました。114ページに掲載している赤のタートルニットのブランド名は、正しくは、エンリカになります。お詫びして訂正致します。
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