そもそもなぜ夏に花火大会が催されるの?
日本の花火大会は、享保17年(1732)に八代将軍吉宗が流行り病と大飢饉で亡くなった人を弔うため、大川(今の隅田川)で仏教の儀式である“川施餓鬼(かわせがき)”を行ったのをきっかけに、翌年の川開き初日に花火をあげるようになったとされます。これが納涼花火の発祥です。
時は江戸時代中期。さて当時の川開きというのは、どのようなものだったのでしょうか。
猪牙舟(ちょきぶね)や屋根船(やねぶ)、そして屋形船などが川の上に涼んでいる間を、花火船が行き交い注文を取って花火をあげていたそう!
当時の花火は、竹筒に黒色火薬を詰めた噴き出し花火で、注文があればお客の目の前で手に持って点火するものだったとか。その後、噴き出し花火を長い竹竿の先端に取り付け、2~3メートルほどの高さで花火をあげるようになっていったそう。
当時の粋な旦那衆の花火の見方
芸者を連れて屋形船に乗りこみ差しつ差されつ酒を酌み交わし芸者はそーっと障子を開けて花火を見上げる、粋な江戸っ子の旦那は水面に映る花火を肴に杯を口に運ぶ。何とも粋な飲み方ですよね。
現代も同様な体験をすることはできます!
隅田川花火大会や足立の花火など屋形船で花火を見れるところは全国各地にあります。屋形船ならば、暑い日中から花火を観るための場所取りをしなくてもいいし、スマートなアテンドで気の合った友達とワイワイできます。
見上げなくともラストは屋根から降り注ぐ大輪の花火が水面近くまで垂れ下がってきますよ。
初出:しごとなでしこ
花火写真家・ハナビスト 冴木一馬(さえき かずま)
報道カメラマンを経て1987年から花火の撮影を始める。1997年花火師(煙火打揚従事者)の資格を取得。 同時に肩書をハナビストとし、世界各地の花火を記録をしながら歴史や文化の研究をはじめる。
2002年から花火を題材にした版画の製作と同時に花火大会運営のプロデュースも手がける。
同年11月、1000大会の撮影を記録。 写真の原版は2万点以上ストック。
スチールに関してはワンシャッターにこだわり多重露出をおこなわず、花火本来の姿を追い求めている。 世界各地の花火をはじめ、あらゆる種類の花火写真があり、その解説も行う。