【瀬尾まなほ】さん独占インタビュー
「やっぱり若いとダメだね」とは絶対に言われたくなかった
作家で僧侶の瀬戸内寂聴先生が開いた寺院、寂庵で〝春の革命〟が起きたのは25歳のとき。大学卒業後すぐに事務職として働き始めて3年目のことでした。長く勤めてこられたベテランの方4名が「自分たちを雇うために先生が無理して働くことがないように」と話しあって一斉に辞め、自分ひとりが残されることになったんです。
世間の人は、25歳の私が〝瀬戸内寂聴の秘書〟になることを許してくれるのか、不安が一気に押し寄せてきました。でも、「やっぱり若いとダメだね」とか「あの子になってから瀬戸内さんの仕事はよくないね」とは絶対に言われたくなかった。当時は、先生を守らなきゃ! と思うばかりに、常に気を張って背伸びしていたというか。余裕のなさや必死さが顔に出て、仕事相手の方にはキリキリしていると思われていたかもしれませんね。
わからないことはなんでも聞く
先生とふたりきりになってからまず言われたのは、「まなほ自身が勝手に判断しないように。わからないことはなんでも聞いてね」ということ。特に仕事の調整については先生が長いつきあいで築いてきた関係があるので、よかれと思っても勝手に決めないようにと。執筆中以外は本当になんでもすぐに聞いていましたが、「今は忙しい」「後にして」などと言われたことは一度もなく、先生自身がいつも聞きやすい雰囲気を出して受け入れてくれました。
もちろん、ときには意思疎通がうまくいかないこともあります。年齢差は66歳。先生は人生経験が豊富で意志が強い分、「こうだ」と思い込むところも。一方の私は誤解されたまま流すことができないタイプで、先生だけにはちゃんとわかってもらいたいという気持ちが強い。思いがあふれて口ではうまく言えないことも多いので、いざというときは手紙を書いて伝えるようにしています。先生はこう言っていたけど本当は違うんだということまで正直に伝えることで、距離が近づいていったように思います。
白黒はっきりつけたがる私は、「世の中にはグレーもあるんだから」と先生に諭されることもしょっちゅう。すんなり吞み込めない幼さがあり、なんで間違っているのにこれが通るの? と自分の正義感を振りかざしてしまうんです。でも、95年生きてきた先生に、正論だけでは物事は解決しないんだと教わるうち、その正義はだれが決めたの? という部分も考えるようになりました。
先生の入院
7年間の中でいちばん大変だったのは、やはり先生が胆のうがんや腰の圧迫骨折で入院したとき。病院のシステムも治療の内容もわからないことだらけでしたが、書類に自分が代理人として名前を書いたときはまたひとつ責任を感じましたね。「死にたい」と言い出すほどの痛みに苦しんでいる先生の姿を見るのはつらいこと。でも、だれよりつらいのは本人で、病人扱いして深刻になると気持ちも落ちてしまうので、先生の前ではいつもどおり振る舞うようにしました。
「ごめんね」としきりに言う先生に、「こんなのなんてことないよ〜!」と声をかけ、お風呂のお手伝いをするときもこちらが恥ずかしがっては気を使わせてしまうと思い、あえてテキパキ仕切って。ただ、毎日通いつめているうちに今度は私がダウン。自分では疲れに気づいていなかったのでうまく発散ができていなかったんです。過食気味になったり、体が重かったり、病院で現状を話して「過労ですね」と労られたらガクンときてしまい…。そこでやっと4日間の休暇をいただくことにしました。
そのとき感じたのは、私はきっとどんなときでもどこに行っても、先生のことが気になってしまうし離れられないんだなということ。そういう存在がいること、そういう人のそばで働けるということは、とても幸せだなと。24 時間瀬戸内寂聴の秘書であり、公私は切り離せないけど、それが苦ではないし自分には合っている。これほど優しくて人間的に魅力がある大好きな人を近くで支えられる、天職だと思っています。
あとは休まないことが美徳だとずっと思っていたのですが、姉からは「まなほがリフレッシュしていい顔で働いていないと、悪循環になるよ」とアドバイスも。ほかに先生の所へ行ってくれる人もいたのに、私じゃなきゃ、と勝手に背負い込んで鬱々としていたんですね。ちゃんと休む、人に役割を振って頼るということも学びました。
できない理由を探すのではなく、傷つくことを怖れず挑戦していきたい
秘書の仕事と並行して、2016年から携わっているのが、貧困や虐待、DV、いじめなど社会が抱えるさまざまな問題に苦しむ若い女性を支援する「若草プロジェクト」です。困っている少女たちがメールやLINEで直接相談できる場を整えたり、窓口の連絡先を書いたティッシュを街で配ったり。
今、特に力を入れているのが、少女たちをサポートしてもらえる全国のネットワークづくりです。何かあったときにたらい回しにされるのではなく、ワンストップで支援者や専門家につなげられるように、研修会を開いています。
恥ずかしながら私は、「今日帰る場所がない、食べるものがない、寝る場所がない」という女の子たちが日本にいることも知らなかった。父親から性的暴力を受けたり、体を売って稼いでこいと言われる人もいます。すごくフェアじゃないし、もし身近な人だったら…と考えたら放っておくことはできないなと。
最初は「偽善者だ」「あんたに何がわかる」と言われるのではという怖さもありました。そんなとき、NPO法人「bond Project」代表の橘ジュンさんの「やらないよりやったほうがいい。知ることから始めればいい。大人が本気になるってかっこいいんだよ」というお言葉で、一歩を踏み出せて。「わからないから、わかりたい」その気持ちで今はこのプロジェクトに向き合っています。
まだ私はスタートに立ったばかりですが、私を通じて同世代の方にも現実に起きている問題を知ってもらえたらうれしいですね。
寂聴先生と出会うまでは、やってみたいことがあっても「私なんて」と、いつもできない理由を探していました。情熱と愛をもって、傷つくことを怖れず何事にも挑戦していく先生の姿を見て、今は私もそう生きたいなと思います。たとえ失敗しても自分で責任をとる潔さ、自分を信じる強さ。そんな先生の魅力をもっと若い人に知ってもらえるように、そして先生が生涯作家でいられるように、今後も支えていきたいです。
Oggi3月号「The Turning Point〜私が『決断』したとき」より
撮影/香西ジュン 構成/佐藤久美子
再構成/Oggi.jp編集部
せおまなほ
1988年、兵庫県生まれ。京都外国語大学英米語学専攻。大学卒業と同時に、京都で瀬戸内寂
聴氏が開く寺院・寂庵に就職。3年目の2013年3月、長年勤めていたスタッフ4名が退職し、66歳年の離れた瀬戸内氏の秘書に。瀬戸内氏宛に送った手紙をきっかけに、2017年6月より『まなほの寂庵日記』(共同通信社)連載スタート。現在、15社以上の地方紙にて掲載。困難を抱えた若い女性や少女たちを支援する「若草プロジェクト」理事も務める。
初のエッセイ『おちゃめに100歳! 寂聴さん』が話題に!
「瀬戸内寂聴ってだれ?」初めは寂聴先生の仕事も著書も知らなかった瀬尾さん。今では、常に体調と気持ちを汲んで仕事をマネージメントし、私生活では〝ため口〟で好きなことを言い合う仲に。寂聴先生の「おちゃめな素顔」と「愛あふれる本音」を、赤裸々に瑞々しく綴る。光文社/¥1,300