『ぷくぷく』第1章、特別無料公開! Vol.2
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都内で一人暮らしをしている、恋に臆病なイズミ。そんな彼女をいつも見つめているユキ。ひとつ屋根の下に暮らしながら言葉を交わすことはないが、イズミへの思いは誰よりも強い。もどかしい関係の「ふたり」の間に、新たな男性の存在が。果たしてイズミの凍った心を溶かす恋は始まるのか。そしてユキの正体とは…。
—
なぜだろう、雪が降るほどに、世界から音が消されていくような気がした。静かに、より静かに、地上が白くなっていく。
世界がいっそう静かになると、白くなった地上とは逆に、空が深い黒に塗り替えられていった。それは、あの黒猫のような艶っぽい黒ではなくて、どこかがらんどうで、つかみどころのないような虚空の黒だった。
出窓の外の世界は、夜に覆われはじめていたのだ。黒い空から吐き出される純白の雪片たち。
ふわり。
ふわり。
白い鳥の羽のように舞い降りてくる牡丹雪は、街灯の明かりを浴びて銀色にきらめいた。でも、その輝きはほんの一瞬のことで、地面に落ちたとたんに他の白い雪たちと同化してしまう。
雪だって、ずっときらめいていたいだろうに──。
ボクは、ぼんやりとそんなことを考えていた。いつもの待ち焦がれた時刻になると、路地の突き当たりに人影が現れた。ボクはガラスに顔を押し付けるようにして、その人影をじっと見詰めた。雪のなか、両手で持った傘が彼女の顔を隠していた。それでも、ボクには分かった。
あれは、イズミだ。
そして、分かったとたんに、ボクの身体は勝手に踊り出してしまうのだった。
イズミは紺色の傘をさしていた。それはボクが見たことのない、ずいぶんと大きな傘だった。その大きな傘が、路地の突き当たりにある小さなコーヒースタンドの前で止まった。傘に隠れて上半身が見えないけれど、イズミはいつものように店の窓越しに持ち帰り用のコーヒーを買っているのだ。そして、帰宅するやいなや、ひとりこたつでコーヒーを飲みながら深いため息をつく。
こうしてイズミの一日は、オンからオフへと切り替わる。
ボクの想像どおり、右手で紺色の大きな傘をさし、左手にいつもの紙のコーヒーカップを握ったイズミが、真っ白になった細い路地を歩いてきた。そのイズミを、コーヒースタンドの若い男性店員が小さな窓のなかから見送っている。
やがてアパートの真下までくると、イズミはいったんボクのいる二階の出窓から見えなくなった。
『ぷくぷく』森沢 明夫(著/文)
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森沢明夫
1969年千葉県生まれ。早稲田大学人間科学部卒業。青森を舞台とした『津軽百年食堂』(2011年映画化)、『青森ドロップキッカーズ』、そして『ライアの祈り』(2015年映画化)は、青森三部作として話題に。また、高倉健主演映画の小説版『あなたへ』、吉永小百合主演の映画『虹の岬の喫茶店』原作など、多くの作品が映像化に関わっている。